『自分はなにものなのか』
その質問を初めて父に投げかけたのは小学3年生の時でした。
父は、その質問に対して、
「お父さんもその答えをずっと探している」
と答えました。
今でこそ皆さんに驚かれますが、私は小学校低学年まで勉強は苦手、運動も大嫌い。マラソン大会ではビリから3番目を争う運動神経でした。
体型は超肥満児。小学校1年生にして体脂肪30%を超え親戚のおじさんから頂く「お姉ちゃん体格良いね」は褒め言葉だと思って1ミリも気にしていませんでした。
転機は小学3年生。
当時流行っていたセーラームーンのカードを交換していたクラスの女子3人グループがいて、
どうしてもその輪に入りたかったのですが、カードを持っていなかったので、入れなかった。
それを、なぜが自分は勉強が出来ないからだ。
自分は運動ができないからだ。
自分は太っているからグループに入れてもらえないんだと思うようになりました。
それと同時に『自分はなにものなのか?』という課題が降り注いできたのです。
そこから少しずつ少しずつ私の小さな努力の積み重ねが始まりました。
小学校ではソフトボールを始めて少しずつ体を引き締めていきました。
中学校ではバレーボールに打ち込み運動は中の上くらいになるまで頑張りました。
勉強もそこそこに頑張りましたが、高校受験に失敗。
実はそれが人生を左右したと思います。
行きたい高校に行けなかった私は、高校1、2年は学生生活をフルに満喫しました。道を外したのです。
ここには書くことができない様な2年間を過ごしました。
そしてまた考えるのです。
『自分はなにものなのか』
当時高校3年生。
同級生が引退する時期に私は柔道部に入部しました。
なんでそのタイミングで?ってよく聞かれますが、きっと直感だったのだと思います。
今だ!って。
『自分はなにものなのか』
この答えは未だにわかりません。
『死に様は生き様』の言葉通り、
その答えは最期が来た時に下されるのかもしれない。
でも私はそこまでのプロセスを大切にし、
目の前に起こる全てのことと真剣に向き合って
それは何のために、何の意味があって起こるのか考え
自分の使命を全うしようと思うのであります。
(武士?笑)
自分の選択に寄り添えるのは自分の直感でしかない。
この柔道という選択が新たな人生を切り開いたのです。