Radiance Source[以下RS]のWebサイトをご覧いただき、誠にありがとうございます。
Radiance source 代表 佐藤龍平と申します。
なぜ、RSを立ち上げたのか。
少し長くなりますが、ぜひ最後までお読みいただけると嬉しいです。
自己紹介
私は自然豊かな栃木県日光市で生まれ、様々なスポーツを経験しながら健やかに育ちました。
体を動かすことが好きで、幼少期には、ランニングのタイムを短縮するために自分の体の分析をしたり、自ら朝練を取り入れたり、この頃から体に対する熱い想いに燃えていたように思います。
【自らのいのちと向き合った時】
しかし、大学卒業時に私は大きな事故を起こします。
酒に酔い若気の至りで、ビルの4階から落下。
大腿骨顆上骨折と脾臓損傷という今でも30㎝を超える傷跡の残る大怪我をしたのです。
緊急手術で大量の輸血をし、一命は取り留め、下肢切断も免れたものの、術後目覚めた私は、
自分で立つことも、歩くことも出来なくなりました。
「身体が弱ると精神が弱る」
体を動かすことが大好きだった私が、初めて味わった苦痛は心までも蝕んでいきました。
「変わってあげたい」と泣く母や姉、内定していた就職先も白紙になり、全てを失ったように「命を断ちたい」という選択すらも頭をよぎる日々が続きました。
そんな中、過酷なリハビリがスタート。
熱心にリハビリに付き添ってくれた先生、家族・仲間の支えのおかげで、私は精神的にも身体的にも劇的な回復を成すことができました。
私は自分の「命・健康」に向き合ったことをきっかけに「健康への追究」を志し、この業界に入りました。
整体師から柔道整復師となり、接骨院・整形外科内科、カイロプラクティック、五輪トレーナーなどの臨床を重ね、
一命を取り留めたあの日から10年が過ぎた頃、宇都宮市若草という場所にさとう接骨院を開院しました。
【母のいのちと向き合ったとき】
研修先の整形外科内科で出会った同職の妻との結納から一か月後の事でした。
母が癌で余命一か月の宣告を受けたのです。
当時の私は、骨折(骨つぎ)やスポーツ外傷に関しては自信に満ちていました。
しかし、大切な母が癌で余命宣告を受けた時、私は癌という病に何一つアプローチできなかったのです。
母は私が極力避けたかった抗がん剤を投与し、少しずつやせ細り弱っていきました。
それでもなお、「息子の結婚式に出席したい」と余命宣告より半年長く生きましたが、結婚式を1か月前に控え、母は天国に旅立ちました。
当時の私は、悲しさや寂しやよりも、母を救えなかった後悔の念に駆られていました。
母が亡くなった年の瀬には長女が誕生しました。
新たな命の誕生に願うのは、やはり「我が子が健やかに育ってほしい」という想いでした。
また接骨院内でも「癌」「アトピー」「不妊」など私が業界に入った頃とは異なる主訴を耳にする機会が増えていきました。
個々の患者さんの治癒過程も複雑になっていることに疑問を抱いていました。
そして同時期、私は引き寄せられるように長谷澄夫先生と出逢いました。
長谷先生は、
治すことではなく、治る体をつくること
に重点を置いた根本治療を行っていました。
少し難しいことを書きますが、生きることは「呼吸」をすることです。
「呼吸」の中には、生命のすべての情報は入っていると言っても過言ではありません。
また呼吸には、
- 二次呼吸(肺呼吸)
- 一次呼吸(脳せき髄液)
- 0次呼吸(量子呼吸)
と三つの呼吸があります。
それらの呼吸を整えるために、ディストーションシステム(発生学的に骨格の歪みを作ってきた過程をさかのぼる)というテクニックの中に内臓・クラニアル・エネルギーテクニック取り入れ根本治療を行うのです。
長谷先生の講座と実績は、母の治療に後悔していた私には衝撃的でした。
私は初めて真の健康とは何か、本物の治療とは何かということに向き合ったのです。
自分の命と向き合い、母の命の最期に後悔し、我が子の命の誕生に寄り添った時、「根本治療」を志したのです。
開院から10年目、臨床から20年。様々な健康情報が溢れる世の中になりました。
しかし、いまだに「癌」「アレルギー」「未病(病名が付かない不定愁訴)」が増えていく。
そして、栄養と治療、運動の三本柱を個々に合うプロセスで提供する、健康づくりのできる場所を築いたのです。
「Radiance (輝く)Source(源)」
「源」は自分自身。
自分が自分らしく、夢や志を持って「輝く」という想いが込められています。
自分を輝かせるための土台となるのは「健康」です。
自分の体・命と向き合い、体のメンテナンスや食にひと手間かけることは、未来の健康を作り夢や可能性を広げます。
施術・運動・食(栄養)を通して、たくさんの方々の「命」が輝くお手伝いができればと思います。
最後に
私の好きな言葉は「邂逅(かいこう)」です。
邂逅とは偶然ではない。
私が長谷先生と出逢ったのも、あの時、治療家の限界について悩んでいた私の縁が引き寄せたのでしょう。
一言二言言葉をかわして別れる人と、自分の人生に影響をあたえるほどの邂逅との差は、偶然などではなく必然的な意志がそこにあったからだと強く想います。
人は出逢うべき時に出逢うべき人と出逢う。
出逢いは、最良で最高のタイミングにやってくる。
一瞬遅からず早からず…
さとう接骨院がRadiance sourceとしてリニューアルする際も、私を信じ同じ志を持ってついてきてくれた仲間たちがいます。
そして新たに食ブースにも共に成長を願う仲間が集ってくれました。
その邂逅にわたしは心より感謝します。
平成30年11月30日 Radiance Source 代表 佐藤龍平